【ファンダメンタルズ分析】ドイツのハイパーインフレを需要と供給の図を使って読み解く。

投資クラゲとは?どんなトレードをしているの?

こんにちは。「再現性のあるトレード方法」を習得した投資クラゲです。
現在は、資産を2倍の2倍、つまり合計4倍を達成しています。
主な投資対象は、ドル円、ユーロドル、ポンドドルの3つ。
トレードスタイルは、
◆スイングトレード(2日~20日間保有)
◆トレンドフォロー(21日~90日間保有)
下の画像のようなトレードをしています。

ハイパーインフレとは?インフレとデフレって何?

辞書によるインフレの定義

インフレとは何でしょうか?

まずは辞書で調べてみましょう。

1 一般的物価水準が継続的に上昇し続ける現象。発生原因によって、需要インフレーション・コストインフレーション、発現形態によって、ハイパーインフレーション・クリーピングインフレーションなどに分類される。インフレ。⇔デフレーション。

2 膨張。ふくらんだ状態。

3 ⇒インフレーション宇宙

出典:デジタル大辞泉(小学館)

つまり辞書によれば、インフレとは物価水準が継続的に上昇し続ける現象のこと。

反対に、デフレとは物価水準が継続的に下降し続ける状態のことです。

では、日本の経済学者にも聞いてみましょう。

経済学者によるインフレの定義

日本の政治・金融・経済の分野で大活躍されている高橋洋一さんの著書から、インフレについての定義を見つけてきます。

「新・経済学入門」という著書の中にインフレ・デフレの定義について触れている部分がありました。

インフレは、モノに対してお金の量が増え、モノの価値が上がった状態

デフレとは、モノに対してお金が減り、モノの価値が下がった状態

「新・経済学入門」高橋洋一著

なるほど。

辞書の意味とは違って、深いです。

どうやらインフレ・デフレとは、モノとお金の関係で決まってくるようです。

図で表してみるとこんな感じでしょうか。

お金の量が増えると、物価が上がります。つまりインフレです。

お金の量が減ると、物価が下がります。つまりデフレです。

インフレが進んでいくとどうなってしまうのでしょうか?

結論から言うと、インフレが継続的に進んでいくとハイパーインフレを引き起こします。

ハイパーインフレとは?

アメリカの経済学者、フィリップ・D・ケーガンは、ハイパーインフレーションを「インフレーション率が毎月50%を超えること」と定義しています。

また、国際会計基準の定めでは、ハイパーインフレーションを「3年間で累計100%以上の物価上昇」としています。

簡単に言うと、ものすごく物価が上がっていってしまうということです。

例えば、100円で買えていたはずの卵が1000円、1万円になるということです。

もし卵が100万円になったらどうですか?買えませんよね?

1000万円だったらどうしますか?1億円だったら?

「そりゃいくらなんでも高すぎだろ!!」という声が聞こえてきそうです。

でも、実際にそういうことが起こってしまったのです。

ハイパーインフレは、世界の様々な国で起こっています。

代表的なハイパーインフレを起こした国
  • ドイツ
  • オーストリア
  • ハンガリー
  • ジンバブエ
  • その他多くの国

今回は、ドイツのハイパーインフレーションについて深堀していきます。

ハイパーインフレは決して軽い話ではない

「ハイパーインフレ」は決して軽く話していい内容ではありません。

もはや「最悪」「破滅」「崩壊」という言葉では表しきれません。

大変な出来事が歴史的事実として実際に起こっていたのです。

「ハイパーインフレの悪夢」アダム・ファーガソン/著 黒輪篤嗣、桐谷知未/訳 池上彰/解説

この本は1975年にイギリスで出版されました。

当時はあまり注目されていませんでしたが、2008年に起きたリーマン・ショックをきっかけに、世界三大投資家の一人ウォーレン・バフェットが、EUの知人投資家に「ヨーロッパの金融危機を考える上で必読の書」と述べたと伝えられています。(バフェット本人は否定していますが)それ以来、注目され復刻された本です。

この本には、ドイツで起きたハイパーインフレの事実が、イギリス国立公文書館の資料、ドイツの資料をもとにありとあらゆる視点から語られています。

ハイパーインフレについての本質を理解したかったら、必読の書です。

ハイパーインフレが起きると、どんな社会現象が起こってしまうのか、「ハイパーインフレの悪夢」から引用して紹介します。

例えば。

ドイツでは1919年から1922年にかけて400件の政治的な暗殺が発生したが、その多くが未解決で、犯人のほとんどが処罰されていなかった。

暗殺日常茶飯事になっている。

もし給料が上がらなかったら、強盗でもするしかない。

1921年11月末、食料を求める暴動がベルリンで発生すると、その後、暴力は全国へ広まっていった。

市内では、ガラス窓がことごとくたたき割られた。ごろつきを数多く含む3万人の暴徒が、市内中の食料品店や、レストランや、カフェを襲い、掠奪を働いた。

中心街にあるホテルも攻撃された。

1922年2月にフランクフルトで実施された調査によると、全階層のすべての子どもに、心身両面で2年の発達の遅れが見られた。

高級住宅街では、子どもを思う母親たちが私邸内に入り込んで、残飯目当てにゴミ箱をあさっている姿がよく見かけられた。

頭脳への需要はない。つまり、頭脳にはもはや市場価値がないということだ。

労働者は過激派に扇動されやすくなり、しばしば手がつけられないほど興奮して、暴動に加わった。

軽犯罪や苦し紛れの犯罪が横行した。言うまでもなく、こそ泥は大戦以来ずっとはびこっていたが、今ではもっと大がかりな規模で起こるようになってきた。

レストランでは、勘定書にある食事の値段が、注文したときより高くなっていたりした。1杯5000マルクのコーヒーが、飲み終わったときには8000マルクになっているのだ。

武装したスト参加者が、ヴィルヘイムスブルクでは警察官を殺そうとしたし、ハンブルクでは警察官を水のなかに投げ込もうとした。

この世は狂気、悪夢、絶望、混沌でした。

平和なリンツの街は、まるで地震に襲われたかのようでした。家具が見る影もなく打ち壊され、舗道に散乱しています。荒らされたのは、食品店や居酒屋やカフェや布地屋だけではありません。宝石店や時計店も、商品を守れませんでした。

共和国と政府関係者に対する侮辱は、ほぼドイツじゅうに広まっていた。

週に1度以上肉を買える家庭はほとんどない。卵は入手不可能だ。牛乳は品薄で、パンは数日前に上限価格が廃止されたとき払った値段の16倍になっている。

政府に失望し、直接行動に訴えていた。機関銃を持った軍隊がブレーメンの街を巡回し、紡績工や造船所の労働者はみんな、生活費をめぐって何度もストライキをした。

ラインラントは、無法無秩序と抑制のないテロリズムがはびこる地帯となっていた。

「経済史上かつて見たことがないような混沌」の時代だった。

1922年の医療報告では、ドイツの大都市すべてに、切実な栄養不足の問題を抱える地区があった。都市化されたこの国のいたるところで、食料と衣類と暖房の不足によって、潰瘍、くる病、肺炎、結核など、あらゆる付随的な病気が発生した。治療と医薬品の高騰のせいで、すべては悪化するばかりだった。

「ハイパーインフレの悪夢」アダム・ファーガソン/著 黒輪篤嗣、桐谷知未/訳 池上彰/解説 より

これが、ドイツで起きた事実なんです。

ハイパーインフレは、決して軽く話していい内容ではありません。

かといって、人として知らんぷりする内容でもありません。

歴史的事実をしっかりと受け止めて、そこから何を教訓として得たかが重要になってきます。

「ハイパーインフレの悪夢」の原題は「When Money Dies」つまりお金が死ぬとき

「ハイパーインフレの悪夢」の原題は「When Money Dies」

「ハイパーインフレの悪夢」の原題は「When Money Dies」です。

つまり「お金が死ぬとき」と訳すことができます。

確かにドイツでは、「お金」という概念が一度死にました。

1マルクの価値が1兆分の1になってしまい、実質無価値になってしまったのです。

そういう意味では、「ハイパーインフレの悪夢」と略すよりも「お金が死ぬとき」と略した方がしっくりときます。

ドイツのマルクの価値

第一次世界大戦の前の1913年、ドイツのマルクは安定していました。

  • ドイツのマルク
  • イギリスのシリング
  • フランスのフラン
  • イタリアのリラ

これらの通貨はほとんど同じ価値として扱われていました。

つまり次の式が成り立ちます。

1シリング=1フラン=1リラ=1マルク

どれもドルとの交換比率は4~5くらい。

それが、10年後の1923年には次のような交換比率になりました。

1シリング=1フラン=1リラ=1兆マルク

10年の月日をかけて、マルクの価値は1兆分の1になってしまったのです。

なぜ、ドイツでハイパーインフレが起きてしまったのでしょうか?

ドイツのハイパーインフレの原因

ドイツのハイパーインフレの原因は1つに絞ることができませんが、ある程度考えることができます。

10年かかって1ポンド=20マルクが1ポンド=20兆マルクまで物価が上昇し続けたのはなぜでしょうか?

  • ドイツは戦争に勝てると思っていた
  • ドイツは戦争の最中からインフレに突入した
  • ドイツは戦争に負けた(オーストリアも)
  • ヴェルサイユ条約を締結した(植民地を没収、領土7分の1を没収、人口の10分の1を没収、ザール炭鉱をフランスが15年利用できる権利を与える、賠償金を1320億マルク払う)
  • 戦争で必要な費用を捻出するために紙幣を乱発した
  • もともと紙幣を作り出すのには資本となる金が必要だった。しかし金本位制をやめて国債を銀行にそのまま買い取らせる方法が取られ、紙幣を乱発するようになった。
  • 労働者は、結託して労働組合を立ち上げ、賃金を引き上げるように交渉した
  • 中央銀行の紙幣だけでは間に合わなかったので、緊急通貨(ノートゲルト)の発行を許す法案が可決された。その結果、国はすっかり紙幣の海に水没した。
  • ドイツの産業の心臓部である「ルール地方」をフランスは奪おうとした。結果としてルール地方の産業はストップし、ドイツの輸出収入が奪われてしまった。
  • ドイツは石炭、コークス、鉄、鉄鉱などを輸出する国だったが、輸出できなくなってしまった。

確かにこれらはハイパーインフレの原因かもしれません。

しかし、本質的な原因はそこではありません。

モノとお金の関係を理解していなかったことがそもそもの原因

「ハイパーインフレの悪夢」を読み進めていくと、ある事実に気が付きます。

それは、当時の人はモノとお金の関係について理解していなかったのではないか?ということです。

それが分かる描写を紹介します。(引用ではなく、文章を簡潔にしてお伝えします。)

  • 一般人はドルが値上がりしているのであって、マルクが値下がりしているのではないと思っていた。
  • 食べ物や衣服の値段が上がっているのであって、通貨の価値が下がっているのではないと受け止めていた。
  • ドイツの中央銀行総裁は「為替相場の下落と貨幣発行量の増大は関連がないと考えていた。
  • 同じように、当時の金融界や金融記者が紙幣の乱発こそがマルク下落の原因になっていることに、まったく気づいていなかった。
  • 首相も、紙幣を大量に発行することとマルクの価値が下がることの関連を認めていなかった。それどころか、内閣にも、銀行にも、議会にも、新聞にも、その関連に気づく者はいなかった。
  • ドイツの中央銀行総裁は紙幣の供給が物価水準や為替相場に悪影響を与えることはないという自分の意見を、決して曲げることはなかった。自分の義務は、全力を尽くして通貨を供給することだと考えていた。

また、間接的に影響を与えていたこととして次のような出来事もありました。

  • 外国為替の相場が公表されなくなった。
  • 国内の株式市場は閉鎖した。

つまり、多くの人はマルクとマルク以外の価値を比べることができなかったのです。

このように、モノとお金の関係について理解していた人はほとんどいなかったということが考えられます。

日本の経済学のスペシャリスト、高橋洋一さんはモノとお金の関係についてこのように教えてくれています。

物価は、総需要と総供給のバランスによって決まると言ったが、これは、「世の中で売られているモノの総量」と「世の中に出回っているお金の総量」のバランスと言ってもいい。

(中略)…これらの「お金の総量」がモノの総量に対して、どれくらい多くなったか、あるいは少なくなったかで、インフレかデフレかが決まるのだ。

「新・経済学入門」高橋洋一著

このように説明されています。

また、繰り返しになりますが、インフレとデフレについて高橋洋一さんは次のように定義しています。

インフレは、モノに対してお金の量が増え、モノの価値が上がった状態

デフレとは、モノに対してお金の量が減り、モノの価値が下がった状態

「新・経済学入門」高橋洋一著

インフレは次の図で説明できます。

インフレとは、モノに対してのお金の量が増え、モノの価値が高くなった状態のこと。

デフレは次の図で説明できます。

反対にデフレとは、モノに対してのお金の量が減り、モノの価値が低くなった状態のことです。

政府や中央銀行の役目は、世の中に出回るお金の量をコントロールすることで、デフレに傾いたときにはインフレに、インフレに傾いたときはデフレにすることです。

  • お金の量が増えれば、物価が上がる。
  • お金の量が減れば、物価が下がる。

この仕組みを理解する人がいれば、ドイツのハイパーインフレはここまで大惨事にならずに済んだのではないでしょうか。

少なくとも、ドイツの中央銀行の総裁や、金融界、金融記者、首相や内閣や銀行、議会でこの仕組みに気づく人がいれば、何か変わっていたのかもしれません。

ハイパーインフレを需要と供給の図から読み解く

ハイパーインフレという現象を「需要と供給の図」を使って説明していきます。

いくつか分析する方法がありますが、今回は「ドイツの物価」と「マルクの価値」という2つの観点から分析していきます。

「ドイツの物価」を需要と供給の図を使って分析する

まずは「ドイツの物価」からです。

需要と供給の図は、これです。

縦軸が物価、横軸が実質GDPを表しています。

左上から右下にかけて斜めの総需要曲線が描かれています。(説明で分かりやすくするために、直線にしています。)

また、右上から左下にかけて斜めの総供給曲線が描かれています。

総需要曲線や総供給曲線は、多くの理由があって右に左に動きます。

そして、総需要曲線と総供給曲線が重なった点が、現在の物価になります。

まずは総需要曲線を見てみましょう。

総需要曲線は右に動いたり、左に動いたりします。

今回の場合は、次のような理由から総需要曲線が右に動くということが考えられます。

  • 戦費を捻出するために国債を乱発。
  • 国民の総収入が見かけだけ増やされる。
  • みんなの持っているお金が増える。
  • 労働組合は賃金の引き上げを要求。
  • 中央銀行の紙幣だけでは間に合わなかったので、緊急通貨(ノートゲルト)の発行を許す法案が可決される。

みんなの持っているお金の総量が増えるということは、総需要曲線が右に動くということです。

すると、総供給曲線との交点が右上に押し上げられていきます。

つまり、物価が上昇するということになるわけです。

もしこの話をもっと深く理解したい方は、次の記事がおすすめです。

要するに、通貨を発行すればするほど、総需要曲線は右に動き物価が上昇します。

今度は、総供給曲線を見てみましょう。

総供給曲線も右に動いたり、左に動いたりします。

ドイツの供給について分かっていることを挙げてみます。

  • とにかく食べ物が足りなくなる。
  • 国内の生産物が市場から消える。
  • 戦争によって国の生産力が落ちる。
  • ヴェルサイユ条約(植民地を没収、領土を7分の1没収、人口の10分の1を奪い取られる、ザール炭鉱をフランスが15年利用できる、賠償金1320億マルク)
  • ヴェルサイユ条約によって国の生産力が落ちる。
  • ドイツの産業の心臓部である「ルール地方」をフランスは奪おうとした。
  • 結果としてルール地方の産業はストップ。ドイツの輸出収入に大打撃。

戦争で供給力が低下していることが分かります。

土地が狭くなり、人口が減り、植民地や炭鉱を取り上げられ、賠償金も課せられます。

国全体の生産力が落ちていたということが分かります。

すると、総供給曲線は左に動いて、総需要との交点が上に押し上げられます。

つまり、物価が上昇することにつながるのです。

先ほどの、総需要の図と、今回の総供給の図を合わせて考えてみましょう。

「みんなの持っているお金が増える」ことによって総需要曲線が右方向にシフトします。

また「国の生産力が落ちる」ことによって総供給曲線が左方向にシフトします。

すると、左右両方から物価上昇の圧力がかかり、物価はさらに上昇していきます。

これが1つ目の需要と供給の図を使った「ドイツの物価」です。

「マルクの価値」を需要と供給の図を使って分析する

もう1つの観点「マルクの価値」で考えてみましょう。

「マルクの価値」も需要と供給の図で考えることができます。

縦軸はマルクの価値です。

横軸は紙幣量を表しています。

左上から右下にかけての需要曲線は「マルクの需要」を表しています。

つまり、マルクを買いたい人が多ければ需要曲線は右に動き、マルクを売りたい人が多ければ需要曲線は左に動くということです。

また、右上から左下にかけての供給曲線は「マルクの供給」を表しています。

これは、マルクの紙幣量だと考えてOKです。マルクの紙幣を大量にすれば供給曲線は右に動き、逆にマルクの紙幣を回収する動きがあれば供給曲線は左に動きます。

それでは、実際にあった出来事と照らし合わせながら「マルクの価値」について考えていきましょう。

まずは、マルクの需要についてです。

マルクの需要は次の理由から左に動くことが考えられます。

  • 投資家がマルクを売って外貨を買う。
  • 銀行もマルクを売って投機を始める。
  • 一般人もマルクを売って外貨を買おうとする。
  • 輸入するためにはマルクを売って外貨を買う必要がある。
  • 輸出で外貨を稼ぐことができなくなった。(ルール地方の占拠)

ドイツは戦時中から圧倒的にモノや食べ物が不足していました。

特に食べ物に困っていた人がほとんどです。

食べ物は農家から店に納品してもらうか、外国から輸入しなければ手に入りません。

また、ドイツの心臓部であるルール地方がフランス軍に侵攻されてしまうと、ドイツは消極的対抗政策で抵抗しました。

ドイツはルール地方の産業を停止させたのです。

これまで最も重要だった石炭、コークス、鉄、鉄鉱などの国内生産がストップし輸出するものがなくなってしまいました。

輸出で外貨を稼ぐことができず、国内には必要なだけの外貨がありませんでした。

だから、マルクを売って外貨を買う必要性があったということです。

マルクの需要は、左側に圧力がかかり、結果としてマルクの価値が下がっていきました。

つまり、マルクが売られれば売られるほど、マルクで外貨が買われれば買われるほど、マルクの価値が下がっていくということです。

次にマルクの供給について見ていきましょう。

マルクの供給は次の理由から右に動くことが考えられます。

  • 戦費を捻出するために国債を乱発。
  • 国民の総収入が見かけだけ増やされる。
  • みんなの持っているお金が増える。
  • 労働組合は賃金の引き上げを要求。
  • 中央銀行の紙幣だけでは間に合わなかったので、緊急通貨(ノートゲルト)の発行を許す法案が可決される。

今回の図では、みんなの持っているお金が増えれば増えるほど、供給曲線が右にシフトしていきます。

横軸は紙幣量だからです。

国債を乱発→紙幣量が増加、賃金の引き上げ→紙幣量が増加、緊急通貨(ノートゲルト)の発行→紙幣量が増加、このようにみんなの持っているお金の総量が増えることで、マルクの供給曲線は右にシフトします。

右にシフトすればするほど、マルクの価値が押し下げられていきます。

先ほどのマルクの需要と今回のマルクの供給を合わせて考えてみましょう。

すると、このような図になります。

マルクが売られることで、マルクの需要は左にシフトします。

マルクの供給量が増えることで、マルクの供給は右にシフトしていきます。

両方の圧力がかかることで、マルクの価値は一気に落ちていったというわけです。

「ドイツの物価」と「マルクの価値」

物価の図と合わせて考えると、とてつもない力が働いていることが分かるかと思います。

みんなの持っているお金が増える→総需要が右にシフトする

国の生産力が落ちる→総供給が左にシフトする

結果として、物価が上がる

マルクが売られる→マルクの需要が左にシフトする

マルクの供給量が増える→マルクの供給が右にシフトする

結果として、マルクの価値が下がる

「物価が上がる力」と「マルクの価値が下がる力」が合わさることによって、ハイパーインフレーションを引き起こすほどの強大な力が生み出されたのでしょう。

このように、需要と供給の図を使うことで、ドイツのハイパーインフレーションの原因を考察することができます。

需要と供給の図は値段が動くものであれば、大抵のことは分析できます。

日本でハイパーインフレが起こる可能性はかなり低いと考えられます。

国としての生産力はかなりあるし、紙幣量もコントロールされているからです。

他国への賠償金が課されている訳でもありません。

紙幣量がコントロールされていることは、日本銀行のHPからマネタリーベースを調べることで分かります。

もし、投資について深く理解したいという方は、株価、先物価格、為替価格、仮想通貨価格について「需要と供給の図」を使うことで「なぜ価格が上がったり下がったりするのか?」を分析するのがおすすめです。

ポンドから見たマルクの価値の移り変わり(おまけの話)

ポンドから見たマルクの価値はどのように変わっていったのでしょうか。

戦前は1ポンド=20マルクでした。

そして戦後、1ポンド=43マルクになりました。

その下落は止まることを知りませんでした。

「ハイパーインフレーションの悪夢」からポンドとマルクの関係が分かるか所を抜き出してみます。

いつポンド対マルク備考
戦前1ポンド=20マルク
1918年12月1ポンド=43マルク戦後
1919年6月1ポンド=60マルクヴェルサイユ条約受諾
1919年12月1ポンド=185マルク
1920年1ポンド=240マルク
1921年1ポンド=268マルク
1921年8月中旬1ポンド=310マルク
1921年9月中運1ポンド=400マルク
1921年11月1ポンド=1040マルク
1921年11月末1ポンド=1300マルク
1921年12月1日1ポンド=751マルク
1922年1月の最終週1ポンド=850マルク
1ポンド=1300マルク
1922年7月10日1ポンド=2500マルク
1922年夏1ポンド=1600マルク
1ポンド=2000マルク
1922年8月1ポンド=9000マルク
1922年11月1ポンド=3万マルク
1ポンド=3万2000マルク
1ポンド=3万4000マルク
1922年クリスマス1ポンド=3万5000マルク
翌日4万8000マルク
1923年1月末1ポンド=22万7500マルク
1923年5月1ポンド=32万マルク
1923年6月1ポンド=50万マルク
1923年6月末1ポンド=60万マルク
1923年7月7日1ポンド=80万マルク
1923年7月14日1ポンド=90万マルク
1923年7月23日1ポンド=160万マルク
1923年7月末1ポンド=500万マルク
1923年8月7日1ポンド=1600万マルク
1923年8月1ポンド=1250万マルク
1923年8月1ポンド=2200万マルクハーフェンシュタインの演説
1923年9月1日1ポンド=5000万マルク
1923年9月11日1ポンド=3億1500万マルク
1923年10月2日1ポンド=15億マルク
1923年10月9日1ポンド=57億マルク
1923年10月10日1ポンド=70億マルク
1923年10月15日1ポンド=185億マルク
1923年10月30日1ポンド=3100億マルク
1923年11月14日1ポンド=6兆マルク
1923年11月15日1ポンド=12兆マルク
1923年11月20日1ポンド=18兆マルク

このように見てみると、1923年がいかに異常だったのかが分かります。

1913年から1923年の10年間で、通貨の単位は1兆倍になりました。

パーセントで表すとしたら100億パーセントです。

ドイツのマルクは10年間かけてわずか1兆分の1の価値になってしまったのです。

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